「我慢が足りん」って誰が決めた?

オフィスの廊下で上司が若手社員に説教し、若手が苦笑いしながら「それ昭和の呪文じゃね?」と心の中でつぶやいているアニメ風イラスト 令和の働き方考
「最近の若いのは我慢が足らん!」……はい、それ、昭和の呪文かもしれません。

「我慢が足りん」って誰が決めた?

令和の空気を吸ってるのに、頭の中は昭和のまま?
それ、もしかしてあなたの感想ですよね?……いや、昭和の呪文かもしれません。


■ あるある:とりあえず言われがちな「我慢が足りない」

  • 上司に相談したら「甘えるな」「もっと我慢しろ」
  • 転職を考えていると言ったら「辛抱が足らん」
  • 仕事が辛いという話に「今の若い子はすぐに辞める」

どこかで聞いたことがあるこのフレーズ。
言っている側は「社会人としての当然の心得」くらいに思っているのかもしれません。
でも、それって本当に正しいんでしょうか?


■ 「我慢は美徳」という前提は、どうやって生まれたのか?

「我慢すれば報われる」——
その価値観が強くなったのは、昭和の高度経済成長期と切っても切れません。

  • 会社に忠誠を尽くせば昇進・昇給が約束された
  • 長時間働くことが「がんばっている証拠」だった
  • 転職が少なく、ひとつの場所にとどまるのが常識だった

つまり、「我慢」にはそれを支える**見返り(=報酬の構造)**がしっかりあったんです。


■ 今はどうか?報酬なき我慢の押しつけ

  • 終身雇用は崩れ、我慢しても保証はない
  • 残業しても評価されず、むしろ非効率とみなされる
  • 「辞めること=逃げ」ではなく、選択肢の一つとして受け入れられる社会

それなのに、いまだに「我慢が足りん」と言われるのは……

過去の構造が変わったことに気づかず、フレームだけが生き残ってしまったから。

そして、**この“フレームだけが生き残った状態”こそが、まさに“昭和の亡霊”**なんです。


■ 上司の「我慢論」は、成功体験ベースの呪文かも?

今の上司世代は、「我慢は報われるもの」という信念のもとでなんとかやってこれた人たち。
でもその前提、もう現代には当てはまらないんですよね。

つまり、「我慢が足りない」と言われたら…

それは、“かつて報われた人の信念”に過ぎないと受け止めてOKです。


■ 我慢と努力は違う

我慢 ≠ 努力

努力とは、目的に向かって工夫し、前進する力。
「とりあえず耐えろ」は、時に思考停止の美徳化です。

本当に必要なのは、「我慢」よりも「問い直す力」なのかもしれません。


■ 「耐えること」に違和感を感じたら…

「これは我慢すべきことなのか?」「別の方法はあるんじゃないか?」
そう自分に問いかけてみてください。

逃げることは悪ではなく、戦略的撤退でもあります。
再構築するための柔軟性こそ、今を生き抜く強さ。

「我慢が足りん」と言われたときは、こう返してやりましょう。

それ、あなたの成功体験ベースの呪文では?


■ あなたはどう思いますか?

  • 「我慢が足りない」と言われたこと、ありませんか?
  • それって本当に“正しかった”と思いますか?
  • 今の時代に合った努力の仕方って、どんなものでしょう?

あなたの「昭和の呪文」体験、よかったら教えてください。


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