「石の上にも三年」って、まだ言う?
それ、“我慢すれば報われる”という昭和の呪文かもしれません。
■ あるある:「3年は我慢しろ」
- 新卒1年目:「仕事つらいです。辞めたいかも…」
- 上司:「石の上にも三年だ。最初はみんなそうだよ」
- 親:「3年もたないなんて根性がない。どこ行っても同じだよ」
……聞いたこと、ありませんか?
今もなお、“とりあえず3年”という言葉が、
キャリアの意思決定を左右している場面は少なくありません。
でもちょっと待って。
その「三年」って、根拠あるの?
■ 「三年」の正体:昭和の“我慢信仰”
「石の上にも三年」ということわざは、
“どんなに冷たい石の上でも、三年座っていれば温まる”
→つまり、
我慢して続ければ、報われることもある
という意味です。
でもこれ、
- 終身雇用が前提で
- 転職が一般的でなかった
- 同じ職場でキャリアが積み上がった
そんな昭和の土壌だからこそ成立していた言葉です。
■ 令和の現実:「三年我慢」に意味はある?
現代は、
- 転職は当たり前
- 業界も職種も柔軟に移れる
- 働き方の選択肢が無限にある
そんな中で、
苦しみに耐えることがキャリアの正解になるとは限りません。
むしろ、
- 成長できない環境に3年いたら、自信と体力が削られる
- 本来進めたかもしれない道を逃す
- 「ここを辞めたらもうどこでも無理かも」と思い込む
そんなリスクすらある。
■ 「三年いれば何かが見える」は幻想かも
確かに、最初の1年目は仕事に慣れる時期。
2年目で少し裁量が増え、3年目で視野が広がることもあるでしょう。
でも、
- 3年目を迎える前に心が壊れる人もいる
- 2年半ずっと合わない環境に耐え続けた末の“限界”
- 成長が見込めない組織に留まったまま、何も変わらなかった3年間
こうしたケースだって、現実には山ほどあります。
つまり、
「三年いれば見える世界」は、すべての人に訪れるものではない
■ 「逃げ」と「選択」は違う
「3年続けなきゃ辞めちゃダメ」は、
辞める=逃げ、続ける=根性という単純な構図
でも本当にそうでしょうか?
- 自分の適性を理解し、違う道を選ぶこと
- 健康や尊厳を守るために職場を離れること
- より学べる・成長できる環境に移ること
それは、
主体的な選択です。
■ キャリアは「耐久戦」じゃない
誰のためのキャリアか?
何のために働くのか?
それに答えられるようになることこそが、最初の“3年間”で目指すべきこと
耐えれば正解が降ってくるわけじゃない。
「石の上にも三年」と言いたくなったとき、
その石、そもそも座る価値ある?
と問い直してみることが、
令和を生きるキャリアの入り口かもしれません。
そしてその判断の出発点にあるべきなのは、
“will”――自分はどういう人間で、どんなことをしたいのか
です。
- 自分の意思で、どんな成長を望んでいるのか?
- この会社でそれが実現できるのか?
- そのために“今ここで”学ぶ意味があるのか?
この問いに向き合った結果、
- 耐えるという選択をするのもよし
- 自分に合った環境を探しにいくのもよし
職業選択とは「正解を当てること」ではなく、「試して、違えば変える」プロセスそのもの
そう考えれば、
“退場”は失敗じゃなく、より自分に合った舞台を探すことにもなるのです。
■ 最後に:あなたの“will”、はっきりしていますか?
「今、自分は何をしたいのか?」「どんな働き方が合っているのか?」
その答えを探ることが、キャリアの第一歩です。
「とりあえず三年」ではなく、
“とりあえず自分と向き合う”時間をとってみませんか?
自分の“思い”を言語化してみること。
それが、これからの選択を“納得感あるもの”に変えていく鍵になるはずです。
■ 具体的な“will”を見つけるための問いかけ例
- どんなときに「自分らしい」と感じる?
- 逆に、どんなときに「無理してる」と感じる?
- 誰に、どんな影響を与えられると嬉しい?
- 1年後、どんな景色を見ていたい?
- 今の自分に足りないと感じるのは、経験?知識?それとも環境?
あなた自身の“あり方”に気づくヒントは、すでにあなたの中にあるかもしれません。
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