〜報道とコンピュータ技術の“権威の崩壊”に見る共通点〜
◆ はじめに
かつて「情報を持っている」ことは、それだけで“専門家”や“偉い人”としての立場を与えてくれる時代がありました。
報道の世界でも同様に、「伝える側」が情報の出し手として、一段高いところから社会に語りかけていた構図がありました。
しかし、情報がオープンになった今、その構図は崩れつつあります。
その変化は、まるでWindows95が登場したときの技術者の変化と似ています。
◆ 報道の立場:かつては「知る者=伝える者=信じられる者」
オールドメディアと呼ばれるテレビ・新聞などは、長らく「情報を持ち、加工し、社会に届ける」唯一の通路でした。
- 一般市民は一次情報に直接アクセスできない
- 「現場を取材して、編集した情報」が唯一の答え
- 批判されることは少なく、“伝える側”は暗黙のうちに上位に置かれていた
この構造が長く続くことで、**「伝える自分は偉い」**という誤認を抱く人が出てきたとしても不思議ではありません。
◆ Windows95時代に技術者が直面した“同じ現象”
コンピュータ業界でも同じような変化がありました。
- かつてのPCは各社の専用OS・専用マシンだった
- 技術情報は“社内のエンジニアしか知らない”世界
- ユーザーは、多少間違っていてもエンジニアの言うことを信じるしかなかった
ところが、Windows95やLinuxの登場により、情報がインターネット上に広く出回るようになります。
- ユーザーも知識を得られる
- 社外の人のほうが詳しいケースも出てくる
- 威張るだけのエンジニアは信用されなくなる
そしてついには、「知っていること」よりも「学び続けているか」が信頼の軸になったのです。
◆ 報道に起きている“権威の再定義”
まさに同じことが、今の報道に起きています。
- 一次情報(動画・SNS・現場の声)を視聴者も見られる
- 誤報や切り取りがすぐに見破られる
- かつての“プロ”の発信が、視聴者の考察や検証に追いつかないこともある
この状況で、「伝える側は偉い」という態度をとればとるほど、“伝える力”ではなく“信頼される力”を失ってしまうのです。
◆ 今、求められているのは「情報を扱うプロ」としての誠実さ
威張るのではなく、問いに応じる。
封じるのではなく、開く。
すれ違いではなく、共に考える。
情報がオープンになった今こそ、求められるのは「自分の言葉と構造を説明できる記者」や、「問いに向き合う編集者」です。
かつての“偉い人”は、知っているだけで許された。
今の“信頼される人”は、知らないことにも謙虚でいられる。
◆ まとめ:情報の時代に“偉さ”はいらない、必要なのは“対話する力”
報道における“専門家”の意味は変わりました。
それは、情報を持っていることではなく、情報とどう向き合い、どう人と関わるかという力です。
コンピュータ業界で起きたように、自己研鑽を怠った“かつての専門家”は信頼を失います。
そして、時代を感じ取り、変化に向き合うプロだけが、新たな時代の“報道の顔”になっていくのです。
💬 あなたが「この人は信頼できる」と感じる“専門家”には、どんな共通点がありますか?
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