なぜ報道関係者は批判を“攻撃”と感じるのか

時事問題

〜一方向の報道文化と、双方向の情報時代のすれ違い〜


◆ はじめに

SNSやコメント欄でニュースに対する声が可視化される今、報道に寄せられる「違和感」や「批判」はかつてないほど増えています。
しかし、そうした声に対して、報道関係者が過剰に反応し、「攻撃された」と感じてしまうケースが少なくありません。

なぜ、視聴者の問いかけや指摘が、“敵意ある攻撃”として受け取られてしまうのか——
そこには、情報環境の変化と、それに適応しきれていない「一方向的な報道文化」が深く関係しています。


◆ かつての「一方向の報道」では、批判が届きにくかった

かつての報道は、一方向に情報を届けるものでした。
テレビや新聞は社会の「公器」として、記者や編集部が「正しいことを伝える存在」と位置づけられていました。

視聴者の声が届くのはせいぜい「投書欄」や「電話・FAX」であり、記者が読者の反応を直接感じる機会はほとんどなかったのです。
この構造の中で、批判されることは“まれな例外”だったとも言えます。


◆ 今は「反応がすぐ、誰でも、どこからでも届く」時代

ところが今、状況は一変しました。

  • SNSでその場でリアクションが来る
  • YouTubeのコメント欄で疑問や怒りが可視化される
  • 記事がX(旧Twitter)で瞬時に“分解”される

これらの反応は、記者や編集者の目にダイレクトに届くようになりました。
しかも、匿名で、時に感情的な言葉をともなって——。


◆ 「誤解」ではなく「時代の構造変化」として捉えるべき

こうした変化に対して、報道側が感じるのはしばしば「誤解されている」「理不尽な攻撃を受けた」という感覚です。

しかし本質的には、“批判の量が増えた”のではなく、“批判が見えるようになった”だけとも言えます。
また、これまでの報道文化に慣れている側からすれば、「自分たちの専門性が疑われる」ことへの戸惑いや苛立ちもあるでしょう。

それは自然な反応でもあります。
けれど、それを“攻撃”として受け取るか、“問い”として受け取るかで、信頼の積み重ね方は大きく変わってきます。


◆ 受け手の変化を直視する勇気

いま、情報の「送り手」と「受け手」の関係は変わりました。

  • 受け手は、発信者を選び、評価し、比較できる
  • 一方向ではなく、双方向の“対話”が前提になる
  • 視聴者は「読む力」だけでなく「問いかける力」を持っている

報道関係者にとって、この変化は**「自らの存在意義を問われている」ように感じられるかもしれません。**
しかし、それは「攻撃」ではなく「期待」であり、「信頼されたい」という願いの裏返しでもあるのです。


◆ 「問い」に応じる姿勢が信頼を生む

双方向の時代において、報道が目指すべきは「誤解を恐れて沈黙する」ことではありません。
むしろ、問いかけや批判に対して:

  • 丁寧に説明する
  • 出典や背景を示す
  • 別の視点も紹介する
  • 必要に応じて訂正・追記をする

そうした姿勢こそが、「信頼される報道」を生む土壌になります。


◆ まとめ:攻撃に見えるのは、問いのかたちかもしれない

報道に寄せられる違和感や批判は、必ずしも敵意から来るものではありません。
それは、「なぜそう伝えたのか?」「他の視点はあるのか?」という誠実な問いかけかもしれません。

「私たちは、何をどう伝えたのか」だけでなく、
「なぜ今、それを伝えるのか」に答える勇気が、
これからの報道には求められています。


🔎 あなたが最後に「違和感を覚えたニュース」は何でしたか?
その違和感を、送り手に伝えたいと思ったことはありますか?


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